自分で建築をつくり始めて、半年。
母屋、離れ、と様々な工程の中で、今かかっている建物が、25年前、祖父が生前つくった物置小屋。
当初は、建て替えようと考えていたが、さわりだすと大変頑丈で、柱梁仕口も瀟洒(しょうしゃ)な納まりで、何よりも几帳面な祖父の仕事が良く表れた小屋だったので、遺すことにし、孫の僕が手を加えることにした。
最初は、そこまで考えてもいなかったが、さわりだすとのめり込み、祖父の生きた痕跡、想いを引き継ぎ、
この世に灯し続けたい、と強く思うようになった。
祖父の道具を使いながら、そんな風に思い始めた。
古手の木や石、土を山や倉庫から探してきて、古手の錆びた釘を使い、川から砂をさらい、練り上げて、
元ある姿を邪魔しないように、そっと手を加える。
古い建物の思い出や歴史に耳を澄ませて、
手を加え過ぎず、邪魔しないようにそっと手を加える改築。
現在の日本の建築は、工業製品で覆われて表情が画一化、部品化され、末には建てては壊す悪連鎖の中にある。
建築とは、本来、完成した時から始まり、年月を経て価値が高まり続けるもの。
そこには、歴史がある。そして改築とは、本来建物のあるべき道姿、なのかもしれない。
僕は、年月を経てこそ、味わい深く、経年を楽しむ表情のある建物を、真っ直ぐな想いでつくりたい。
工事を自ら行い、建物が持つ魅力や場の魂を、身を以て体感し、汗を流し、考え、悩み、
そして僕の建築の新しい可能性を、祖父が気付かせてくれた。
『おじいちゃん、見てくれてるかなぁ。。。』