ただいま、進行中の『心を癒すクリニック』の現場から。
『建築には一体何ができるのか』を自問自答した建築。
建築は色々な役割を求められる。
商業的なものは収益性が必要だし、すべての用途に、それぞれの快適性が求められる。
以前にもお話ししたが、建築とは制約の産物である。
制約とは、法規制、コスト、要望、耐久性、街並みへの責任、そして設計しても自分が施工しない難しさ、等。
そして建築とは、人間が作り上げる人工的なモノでもある。
でも、建築って、誰のためにあるんだろう。
何のためにあるんだろう。
そんなことのために、建築ってあるんかな。いや、そうじゃない。
って考えた時に、この仕事が教えてくれた。
『心が少し弱っていて、今時点で、少し困られている人たち』のために、最大限建築があってもいい。
そんな建築があったらいい、と直感的に想った。
それからは、実際に心が少し疲れてしまって、心のクリニックへ通っていた人たちの話を聞いた。
何が必要で、何が求められているのか。。。
建築のあるべき姿を探して。
建築は、ファッション的にも、姿、形にどうしても目がいく。
目に見えるものは、表面でしかなく、それは引っ付けたり、剥がしたりしたら、
いつでも変えられるモノなんだ。所詮は物質でしかない。
でも見えないものにこそ、真実がある。
だから、僕はいつも目に見えない空気の設計に力を注ぐ。
それもこれも、今まで世界中を旅して、出会った人、街、路地、建築、そして光と陰が教えてくれた。
そこには、時空を超えて、空気があり、旋律があった。
目に見えないものは、今すぐには分からないけれど、完成して何年かしたら、きっと分かる日がくる。
建築の寿命はあらゆる物質の中で、破格に長い。
だからこそ難しくもある。
この建築の敷地周囲の環境は、大型のダンプカーが往来する騒がしい工業地帯にある。
周囲には木一本も生えていないような、自然とは正反対のような環境にある。
でも、
そこだけは、違う風が流れているような、
そこに来たら、何か温かいものを感じて、守られて、勇気付けられて、心が癒されるような。。
そこに来られる人のために、100パーセント捧げるような建築。
そう、患者様に最大限奉仕するような建築をつくりたい。
縁の下の力持ち、のような建築でありたい。