2014年2月14日。

記録的な大雪になったこの日。
早朝6時、姉から電話がかかった。
 
大急ぎで車に飛び乗り、吹雪き始めた大阪市内を、実家へと急いだ。
道路封鎖ぎりぎりの高速道路に滑り込み、何とか目的地で降りた。道路にはもう既に雪が積もり、辺り一面真っ白へと変わっていた。徐行しては停止、を繰り返す中、坂の途中でとうとう車が止まってしまった。
困っていると『押しましょうか!』後続の車の運転手の方が二人降りて、吹雪の中、車を押してくれた。
坂道で足元も悪く何度も転びながら何度も何度も車を押して下さった。おかげで何とかコンビニの駐車場まで辿り着くことが出来た。
 
雪が降り積もった真っ白なコンビニの駐車場で途方に暮れていた折、事情を店員さんにお話しすると、『いいですよ!車停めて、行って下さい』と本当に優しいお心遣いを頂戴し、車を停めさせて頂いて、徒歩で電車の駅を目指した。
雪の影響で電車のダイヤはかなり乱れており、駅の待合室でしばらく電車を待っていた。
ようやく電車到着のアナウンスが流れ、待合室を出たところ、持っていた紙袋の底が雪で濡れて破け、荷物が落ちた。荷物を拾っている僕に『この袋使って下さい。』わざわざ待合室から出て来て、御婦人が袋を持って来て下さった。有り難いお心を頂戴し、電車へ乗った。
駅に着き家族の迎えを待っていたが、道路は渋滞し雪で立ち往生した車がそこらに見られた。到着までまだしばらく時間がかかる、との連絡を受け、駅前で雪の中立っていた。すると突然大きな声で『中でお茶でも飲んで待っていき!』営業時間前の駅前のうどん屋の店主さんのお心を頂戴し、温かい室内でお茶まで頂戴し、家族の迎えを待った。
 
7時間。いつもなら1時間の道程が、ようやく昼過ぎに実家に着いた。
僕のおじいちゃんはもうあの世へ旅立っていた。安らかな顔で家族に見守られて98歳の人生に幕を下ろした。
2月16日に誕生日会を家族でしよう、という約束だったのに。誕生日会をすることなく、おじいちゃんは旅立った。
お葬式も終わり、最後に父とお供えを持って、村の方々へ二人でお礼参りをした。
この度のおじいちゃんの旅立ちを受けて、様々な方々に大変お世話になった。
何も言っていないのに、スコップを持って、吹雪の中やって来て家の雪かきを何度も何度もして下さった。
父がお礼を伝えると、
 
『おじいちゃんにはほんまに世話になったんです。ほんまによくしてもらったから当たり前のことしただけです。』
ご挨拶へ伺った方々が皆、『おじいちゃんにはほんまに助けてもろた。よくしてもらった。』そう言って頂いた。
親父は声を詰まらせお礼を言い、僕はただただ感動して、涙が出た。
いつもいつも田を耕していたおじいちゃん。道具も何でも自分で作るおじいちゃん。
温泉とお酒が大好きなおじいちゃん。素朴で質素にそして優しかったおじいちゃん。
言葉では多くを語らず、黙って姿勢で見せたおじいちゃん。
 
今年も米を作る。春が来て、夏が来て、秋が来る。
 
今年からはおじいちゃんの姿はもうないけれど、おじいちゃんの田を耕していた背中は僕の心の中で生き続ける。
 
 
 
おじいちゃん、ありがとう。
 
 
 
祖父

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