10代の頃から世界を旅している。
あの街のあの曲り角で出会った風。
路地に差し込む光。
オレンジピンクに染まった空。
空腹の中、世界をさまよい、地図を片手に目指したあの地。
腰かけた石柱から感じた先人の息づかい。
すべて私の中に宝物として、いつまでも輝き在り続ける記憶、イメージ。
旅で出来あがった私の全身から、私の建築が生み出される。
TIME LIGHT & SHADOW ━━━ M S Y ARCHITECT
スケッチブックとペンを持って旅に出る。旅先で出会った風景に感謝しながら、時空を超えてスケッチをする。
その時が、私にとって人生で一番自由を感じる時間だ。自由とは、結局不自由を感じないと味わえないものだが、根底的に自由でありたい、と想っている。
現場で偶然に出会えた光。
事務所を設立して5年目の夏の午後、三重県の現場を訪れた際、荒々しいコンクリートの壁に、陽射しが突きささっているのを見た。
見上げると、中庭の大きな天窓からは、お盆前の真っ青な空に真っ白な雲が広がっている。
その荒々しいコンクリートの壁は、ぼわぁん、ぼわぁん、、、、と、ゆっくりと流れゆく雲の影を映し出して、呼吸をし始めた。
僕はその壁を前に、しばらく動けず、ただただ地球の鼓動を感じていた。
その時、閃いた。
沖縄の陽射しだったら、どんな表情になるのだろうか。。。と
二日後、沖縄へ飛んだ。
光を追求している私にとって、内地とはまるで違うだろう沖縄の光に、私の新しい建築表現の可能性を夢見た
気がつくと沖縄で建築をつくり始めて15年になる。
20の夏 インドを旅した。
そこで感じた強烈な光。その光から守るように存在する自然の造形。
そこで出会った、影。そして、すべての感触。
私の建築は、そこからきている。
建築とは、姿、形ではない、普遍的なものである。建築とは、地球の鼓動を映し出すものである。建築とは、時代を超えて愛されるものである。
あの時の静けさ、匂い、
猛暑の中、バックパックを背負って歩き疲れてクタクタの私の背中を冷やしてくれたあの風を今もしっかりと覚えている。
本当は建築なんか建てない方がいいと思っている。建てない方が、風景の邪魔にならないし、空も広い。けど色んな事情で、建てさせてもらいたい、ということだったら、せめて、出来るだけ人様に迷惑のかからないものにしたい。
その建築が人様の心に何か、ほんの少しでも、いい感触を伝えられたら。通学路の子供達が見て、何か感じてくれる建築であったら。
それだけでも、どんなにか素晴らしいと想う。
素晴らしい建築は、必ず残り続ける。
住宅として建てられた建築が、美術館に変わり、そして教会に変わって、残り続けるように。
素晴らしい建築は、時代を超えて、愛され続ける。
だから素晴らしい建築をつくりたい。
建築の設計は、姿、形を追求するものではない。
目に見えない事象を具現化することが設計である。
光や風、そして地球の鼓動を映し出す心の風景をつくりだすのだ。
モノや情報で溢れかえった今の世は、物事の本質が見えにくい。
昔のように、インターネットやスマホ無しで、地図を片手に世界を旅すると、不便さを思い知らされる。有難いことに、その不便さを感じられた時、立ち止まって、想い悩み、考え始める
その時、物事の本質が見える。
だからこそ、引き算で建築を考える。
人間の根源的な住まいの原風景を求めて ━━━ CAVE
諸行無常。
人間と同じで、美しく、朽ちていく建築を夢見ている。
建築も生きているから。
光と影。
美しい光は、美しい影をつくりだす。美しい影は、美しい光をつくりだす。
建築も人生と同じで、すべてはコインの裏と表。
モノや情報で溢れかえった今の世は、確実に大切なことを見失っている。
だから、いつも同じところから設計を始める。
建築は、自然や風景に従うものでなければならない。
風景が求めている姿。その姿が浮かびあがるまで探す。
インターネットがない時代、満足な情報もないまま、その建築を感じたい一心で、まずその場へ足を運ぶことを考えた。海を渡り、何十時間かけて着いたとしても、もちろん扉は開いていない。
けど、世界中どこに行っても、必ず、建築の神様が現れて、なぜか扉を開けてくれた。
そんな経験が支えとなって、毎日毎日、想い、悩み、考え抜く。
信じ続ければ、建築の神様はきっといる。